明治学院バッハ・アカデミー Bach Akademie Meiji Gakuin Tokyo

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バッハアカデミー維持会へのお誘い

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サントリーホール30周年記念特別公演 ライブCD発売のお知らせ

この度、molto fineレーベルより《マタイ受難曲》ライヴ録音CDを発売することとなりました。 2002年に演奏された初期稿(1727/1729)での日本初演のCDは、初期稿盤としては世界初のCD化として話題を呼びましたが、今回は後期稿 (1736年)による2016年3月20日のサントリーホール 30周年記念特別公演でのライヴ盤(3枚組)です。 福音史家、テノールのジョン・エルウィス、イエス役のバスに河野克典を迎えるなどソリスト陣の充実ぶりと、明治学院バッハ・アカデミー合唱団・合奏団(古楽器使用)の近年の質的向上は特筆すべきものがあります。 古楽研究の成果も踏まえつつ、《マタイ受難曲》に新たな境地を切り拓いており、なにより、数ある《マタイ受難曲》の中にあって、自然に等々の流れるバッハの世界をこの機会にご体感ください。
サントリーホール30周年記念特別公演 マタイ受難曲演奏会
  • J.S.バッハ作曲 マタイ受難曲 BWV244
  • 2016年11月20日 molto fineレーベルより発売
  • ヨハン・セバスチャン・バッハ作曲 
  • マタイ受難曲 BWV244(1736年後期稿)
  • 指揮   樋口隆一
  • 演奏   明治学院バッハ・アカデミー合奏団
  • 福音史家 ジョン・エルウィス(T)
  • イエス  河野克典(Br)
  • 独唱   光野孝子(S)
  •      永島陽子(A)
  •      土田悠平(B)
  • 合唱   明治学院バッハ・アカデミー合唱団
  •      明治学院高校ハイ・グリー部
  • 2016年3月20日 サントリーホール ライブ録音
  • CD3枚組    対訳・ライナーノート ブックレット付(全60ページ)
  •       樋口驤黶u私のバッハ遍歴《マタイ受難曲》」
  • 定価 4,000円(税抜き)
  • タワーレコード HMV amazon 他各通販サイトにて発売

  • 編集者の大原哲夫さんより、「マタイ受難曲」CDのご感想をお寄せいただきました。ありがとうございました。大原さんは、小学館の「モーツァルト全集」「バッハ全集」「武満徹全集」などの音楽書をはじめ、美術書、写真集などを多数手掛けておられます。

    大原さんのサイト→大原哲夫編集室ホームページ

    樋口隆一の「マタイ受難曲」を聴く

                                大原哲夫

     昨年亡くなった友人の画家・堀越千秋はカンテの歌い手としてもスペインで絶賛されるほどであったが、彼のアトリエにはマタイのカセットテープがあった。創作に行き詰まると彼は安物のラジカセでマタイを聴いた。武満徹は作曲にとりかかる時、必ずマタイのコラールの一節をピアノで弾いてから譜面に向かった。かようにバッハのマタイ受難曲は特別な曲である。
     創作とは無から有を生むことである。それは己と向かい合うこと、己自身を問い直すことでもある。自然や神、大いなるものと対話することにもなる。
     夕日が海に落ちてくるあの素晴らしい光景。松林にざわめく風の音。今まで出会った数多くの風景、生きて今まで知り合った多くの人々。そして、ここにいる私は一体何者のか。広い宇宙に、今ここに存在している私は一体誰なのか。

     昨年、バッハ・コレギウムの鈴木雅明指揮のマタイ、続けてサントリーホールで樋口隆一指揮のマタイを聴いた。近年のマタイの演奏はドラマツルギーとしてのキリストの受難を劇的に演奏するものが多い。バッハ・コレギウムのマタイの演奏は、聴衆もまたキリストとともにいるイエスの弟子の1人となってしまうほど迫真の表現である。それを悪いとは言わぬが、目の前で演じられる劇的な演奏が素晴らしければ素晴らしいほど、目も耳も舞台に釘付けとなり、マタイを聴きながら、自らを省みる機会が失われるという皮肉な結果になる。
     樋口隆一の指揮するマタイはその対極にあった。久しぶりに心が穏やかに、大いなるもの前の小さな己の存在を気づかせてくれる心休まる演奏だった。特にコラールが素晴らしい。素晴らしいと言うのは、これは技術的にうまいと言うのではない。バッハの無伴奏チェロ組曲を終生の友としたチェリスト青木十良はアンサンブルとは一致することではなく、調和することであると言ったが、ここで演奏されたコラールは、アマチュアの合唱団であるから、当然、技術的にはうまくはないのかもしれないが、いたずらに完璧さを求めたものではなく、合唱団のそれぞれの思いが見事にブレンドされ、心地よい調和をたもっていた。 心のこもった歌声だった。エヴァンゲリストは70歳を迎えており、そのことで最盛期の声が失われたなど批評家は言うが、そんなことはない。見事な味を出している。声楽家は最盛期の、声量が豊かな時がいいと言うならば、円熟した歌舞伎役者や古今亭志ん生の落語を若い時のほうがいうのと同じである。音楽にも味が大事なのである。若ければいい、声が出ればいいと言うものではない。
     樋口隆一の指揮も見逃せない。彼は音楽を支配しない。音楽に身を任せる。 合唱団のメンバーは「樋口先生の指揮はよく見ていないと、どこから始まるかわからない」と愛すべき悪口を言うが、フルトヴェングラーの棒だってよく見てないとどこで始まるかわからなかったそうだ。近衛秀麿も同様だったようで、だから近衛秀麿は「ふると面食らう」と言われた。
     そういう意味では樋口隆一の指揮はフルトヴェングラーや近衛秀麿の系列に連なる。音楽を楽譜の縦の線に合わせるのではなく、行く川の流れが常に横にたゆたうように、指揮者は音の川の流れに身を任せる。舞台で見ているとよくわかるのだが、縦に刻むのではない。指揮者樋口隆一の体は常に左右にたゆたう。少しも音楽の邪魔をしない。聴衆はマタイと言う大きな川の流れの両岸に展開する様々な風景、様々な出来事の中に身を置き、省みて己を振り返る、そんな機会を与えてくれる演奏だった。
     ファイン・N&Fの 西脇義訓、福井末憲の二人は、サントリーホールで演奏された、この樋口隆一指揮のマタイ受難曲をライブ録音した。そのCDが出来上がり、わが家に送られてきたのだが、実に自然に当日の様子を録音している。いたずらな誇張はない。空間に広がる合唱団のメンバー一人ひとりの思いや、ソプラノ、アルト、テノール、バスの独唱者たちの、真摯な音楽に対する思いまでもマイクを通して拾い上げ、オーケストラのメンバーたちの決して完璧ではないが実に心地の良い響きを捉えている。
     私はマタイ受難曲の新譜が出たというと昔から必ずLPレコードのセットを買っていた。十数組はあるだろうか。私のマタイコレクションの中でもこれは折に触れて聴きたくなるマタイである。
     ゴーギャンは言った。「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」と。

                           (2017.1.22記)


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